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14戸は茅葺き屋根の家である。これらは現在、茅屋根の上を鉄板で覆っているとはいえ、その村並みは魅力を失っていない。
大観光地からわずかに離れているだけなのに、南斜面に立地するこの集落は、大きな自然のなかにあって伝統的な姿をもちつづけ豊かさに満ちている。このことは大変な驚きである。青鬼の集落とこれを取りまく環境は、「桃源郷」という言葉がもっとも相応しい別天地である。この集落を保存しかつ活用を図ろうという村人の心意気が今回の調査の出発点となった。

 

わたくしは、今から35年前の昭和37年(1962)、東京大学工学部建築学科太田博太郎研究室の一員として、白馬村の民家調査に参加したことがある。このとき青鬼では山本義治郎家が調査対象となった。この家は明治40年(1907)の集落の大火にあって焼け、翌年に新築された、養蚕農家として二階建てになっており、調査家屋のなかではもっとも建築年代が新しかった。
茅葺きの家14棟のうちには、平屋建て、二階建ての両方がある。平屋建てが古い形式であり、二階建てが新しい形式である。建築年代を知る目安は、明治40年の大火にあいその後の建築か、大火にあわずそれ以前の建築か、また、弘化4年(1845)の善光寺地震の前の建築か、後の建築かなどである。
今回、桜が咲き若葉が萌えだして、遅い春がいっきにやってきた5月10日に青鬼を訪れた。あらためて大きな自然のなかにある集落の美しさに魅力を感じた。35年前の調査は民家調査であったこともあって、集落全体の姿はわたくしの記憶にほとんど残っていなかった。そしてまた当時は、日本経済の高度成長期の前であったので、農村は伝統的なものをまだ多くもっていたし、茅葺き屋根の家はごく普通であり、農村風景として珍しいものではなかった。調査報告書「白馬村の民家」のまえがきに「この報告書は、古民家の構造様式の記録保存と資料公開のために刊行するもので、学界に寄与するところ多大であり、将来にとっても貴重な記録となる」と記し

 

 

 

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